行ってきます・ただいまが言えなくなる日
その日は突然やってきた。
25歳の夏の終わりの早朝。
弟からの電話。
「お姉ちゃん、お母さん死んじゃった」
ただ心臓のどきどきだけが大きくなる。
ガクガクと全身の震えが止まらない。
一気に力が抜けていくような
血の気が引くってこんな感じ?
頭が真っ白ってこうゆうこと?
ててはまだ2歳。
息子の存在すら忘れてしまった。
どうやって母のもとに行ったのか、今でも思い出せない。
記憶にあるのは、実家の6畳間に
整った寝巻きに身を包み
整った不自然な布団に寝ている母。
ドラマに出てくるような、眠っているだけの
優しい優しい穏やかな表情。
「お母さん、お母さん・・・笑ってよ」
みんなも泣いている。
愛犬くろがガラス越しに項垂れてずっとこっちを見ている。
全く動こうとしない。
食いしん坊なのに、何も食べようとしない。
現実なんだと悟った。
いつも朝早くから、台所に立つ母が起きてこない。
布団の中で、声をかけても起きない母。
前日の夕方母からの電話。
「少し体調悪かったから病院に行ったんだよ、どこも悪くないって」
「来週神奈川に行こうかなあ」
そう元気に話していた母。
「お母さんは死んでも生きたい」
何それ。
冗談のようで、私は笑って聞いていた。
『自分の親は死なない』
なんとなく、そう思っていたから。
まさか、そんな言葉が最期になるなんて。
「病院に行ったのにどうして・・・?
心不全ってなに・・・?
私の所為・・・?
・・・なんで気づいてあげれなかったの」
受け入れられない事実に気がついた私は
ただただ、何かの所為にしたかった。
その日から、私の中の何かが変わって行った。
親の最後の役割は子供に自分の死を見せること
看護学生時代、遠く遠く教壇から聞こえてきた唯一記憶している言葉
もうすぐ、母の日がやってくる。
「お母さん、会いたいなあ、お母さん、ありがとう」
ててママ発祥の地
ててがお腹にいる頃、夫(正式には元)の転勤で、しぶしぶ神奈川県へお引っ越し。
12棟くらいあったのかなあ。
古い古い社宅。6畳、4.5畳に台所。4階エレベーターなし。
不安しかない。
長野県育ちのててママは、本物のゴキブリと初対面となる。
うわあ、こんなとこにもクワガタがいるんだあ
と掴もうとした瞬間。
何か違う! 「ぎゃあー」
初めてできた社宅の友達は、Kくん当時2歳くらいだったかな。
「ねえねえ、お腹に赤ちゃんいるの?何階?」
「ぼくんちも赤ちゃんいるよ」
トイレットペーパーやコメ、両手一杯の荷物姿だった。
「僕が持ってあげるよ」
はっとした。こんなに小さい子なのに。
どんだけ勇気出して話しかけてくれたんだあ。
Kくんから学んだ。
私の先入観は反省に変わった。
社宅もいいかも。きっと楽しいぞ!
この社宅から、ててママと呼ばれる日々が始まった。
ワクワク
テレビドラマを見過ぎのててママ
ご近所さんが怖かったらどうしよう
って思ってたに違いない。