父の日に父を想う

亡き父にありがとう

父の最期の選択。

生前の口ぐせ。

亡き父
亡き父

酒が飲めなくなったら殺してくれ!

酒が飲めないなら死んだほうがマシだ!

ルーティンだらけの昭和の父。

起床はおそらく5時。

朝刊を見ながら、日本茶とタバコ。

ご飯と味噌汁と長野県ならではの漬物と梅干し。

朝は7時から自宅併設の工場で仕事開始。

夕方油まみれになった体で一番風呂に入る。

だから、父の匂いの記憶は鉄錆の油の匂い😂

父がお風呂から出てくるまでに、

必死に片付けが始まる。

NHKのニュース番組か野球を見ながらの晩酌。

必ず、木綿豆腐と薬味は必須。

日曜日だけが休日なのに、

朝は3時に起きて山菜採り。

今となっては、貴重な山菜。

もし、死ぬまでに何でも食べれるとしたら、

迷わず山菜料理、父の味😂

ててママは幼少期から料理を発明するのが趣味だったが、

父の口には合わなかったようだ😊

どうして幼少期から料理が好きだったのかは次回にしよう。

父がテレビの権限を持っていた。

弟と母と三人で父が寝る時間をカウントダウン😁😁😁

父の厳しさしか、思い出がないようだが、

嫌いではない。

それは『安心感』があったから。

母が亡くなった日から父はめっきり元気が無くなった。

気を紛らすために働いて、

生きるためにご飯を食べる。

ルーティンは変わらないが元気はなかった。

取り乱す様子を人に見せる人ではなかった。

そんな父を襲ったのは、自宅全焼

「家が燃えてる、火事だよ、お父さん見つからないよ」

夜中の出来事だった。

変な時間の電話は心臓の鼓動が止まない。

神奈川から車を走らせた。

全焼だった。

外出をしない父が、たまたま仕事で外泊中だった。

その頃は携帯電話もない。

父は旅館のテレビニュースで自宅が燃えてるのを見て

慌てて帰宅。

心を落ち着かせる時間などなく、

現場検証やら事情聴取やら始まった。

父は一本、また一本と次々にタバコに火をつけた。

原因は不明、近隣で放火が頻発していた。

放火の可能性があるとだけだった。

その翌日、脱力している父。

会話もできない。

病院搬送すると脳梗塞だった。

神奈川に連れて帰ったが、長野にこっそり逃げてしまう。

ひとりの自由を選択。

近隣の人たちや父の仲間がひとり暮らしを助けてくれた。

弟夫婦と、孫たちが世話してくれた。

感謝しかない。

お酒をやめない父は、再び脳梗塞で倒れた。

リハビリも拒否、食事も拒否。

生きる選択肢は無いようだった。

話しかけても、一点を見つめたまま。

父の選択として、これ以上何もしないことを選択。

弱々しい父の姿。

きつい選択だった。

遺影写真は笑顔の父。

生前から遺影写真を自分で撮っていたものだった😌

人生100年時代。

その人らしい人生の選択。

父と母からの贈り物。

どうやって生きて行きたいのか。

人は一人で生きられない。

だから今を一生懸命に!

そして貢献感を持って、

『ありがとう』をたくさん言える日々を送りたい。

まだまだ修行中。

「ありがとう」の花をたくさん咲かせて父と母に届けたい!

人生会議

2019年に厚生労働省が発信したポスターが話題となった。

自分事化しないとなかなか浸透しない。

ててママ自身も、診療所に働き、

高齢化の現状を知って初めて自分事になった。

父は自分の意思を口ぐせのように、

毎晩お酒が入ると言っていたが

本心はどうだったのだろう。

何もしない選択で良かったのだろうか。

看護師をしていても父を説得できなかった後悔、

親の世話ができなかったことを責める気持ちがあったと思う。

そう思わないように、潜在意識の中に封じ込めていた。

自分を許さないと人を許せないと教えられた。

こんなててママててママ。大丈夫!

集中治療の現場で死にゆく人や家族の思い。

多くを考える場面が多々あった。

両親からの贈り物のひとつ、

突然死と介護、そして最期の選択。

ほんの少し、自分事として他者に共感できた。

老いとか若いとかでなく、

どう生きたいか家族で何度も何度も話せたらいい。

人生会議意外と素敵な言葉かもしれない。