変えられるものと変えられないもの
心理学者のフロイトは、原因論を提唱しました。
『原因があって結果が作り出される』
例えば、「パソコンは苦手なのできません」
「もう歳なんで無理なんです」
「そっかあ。仕方ないなあ」なんて解決できなーい。
できない理由ばかり探し続けてしまう🤣
それでは、問題解決できません😅
「ててママブランコに乗れませーん」
「過去に何度もブランコから落ちて大怪我をしたから」
まあ、ブランコに乗れないのは生活に支障はきたしませんが🥹
原因追求も必要だけど、
職場でこれでは犯人探しで終わります。
「なぜ、なぜ」ばかりでは、問い詰められてるような気持ちになります。
実際現場では、意外とよくあると思います。
また心理学者のアドラーは目的論を提唱しました。
「ててママパソコン歳だから、、、無理」
だったのが、使う目的ができたんです!
「よし、MacBook買うぞ、ブログを書いてみたい!」
「初心者でもできる方法を探そう」
何らか原因のせいにしていれば、
やらないので楽かもしれない。
ただ、今のまま😊
やりたい!と考えたら
できる方法を探し始めたんです。
そして、少し少しできると、他のことにも
「よーしやってみよう!」
そうなんです。思考の習慣が変化したんです。
自分の態度、自分の考え方、何を食べる
何を学ぶ、自分の感情、自分の行動
誰と関わる、誰と過ごす、どこに行く
これらは、自分で決めたら変えられます。
他人の態度、他人の考え方、他人の食べるもの
他人の学び、他人の感情、他人の行動
他人が私のことをどう思うのか 過去
これらは、変えられない。
だけど今までは、
価値観が違うと相手を変えたいと思っていました。
ててママは、心理学者のドクターフランクルが好きです。
人生はどんな状況でも意味がある。
『あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、
それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、
自分のあり方を決める自由である』
オーストリア・ウィーン在住の精神科医であったフランクル。
ユダヤ人であるという理由でナチスに捉えられ、
過酷な強制収容所生活を余儀なくさせられました。
明日の命の保証もない捕虜となり、人間以下の
扱いを受け、家族は餓死、殺されるなど
極限状態でも崇高な精神を持ち続けるって、
夕日の美しさに感動する心を忘れない、
自分の心のあり方は誰にも邪魔されない自由を
追求したのかなあ。
とは言っても、どうにもならないこともある。
ててママの母が亡くなった時に知っていても
このような行動をとることができたのかな?
ただ今は、変えられないものに執着するのは辞めた😊
ぐるぐる思考からは脱出できた😊
変えられるものは、ポジティブに変えられる。
そんな心のトレーニングとメンテナンスを
続けていこうと思う💕